コロナウィルスでソフトバレーができない状況が続いていますが、今回のコロナウィルスが教えてくれたとても大きな事があります。
コロナが教えてくれたもの
コロナが教えてくれたもの、それは
ソフトバレーが日常にあったことによる喜びや日々の楽しみ
です。
もちろん、元々どんなときでもソフトバレーをできている事が幸せだとは感じていたのですが、実際に周りから無くなってみると想像以上にその存在の大きさを感じました。
もちろん、怪我をしたり仕事が忙しくなったりでソフトバレーができなくなっていた時期というのはあります。
今回の自粛期間より長くソフトバレーをやらなくなっていたことはあります。
でも、ソフトバレーができなくなっても今までは周りにソフトバレーはあったんですよね。
自分がソフトバレーができなくなっても他の人たちが普通に練習をしていましたし、大会もあったのでSNSやYouTubeで大会の情報が伝わってきたりして・・・
ソフトバレーができなくても周りにソフトバレーがあった
それに一時的にソフトバレーができなくなっても今の自分の状況が変われば(怪我が治ったり、仕事が落ち着いたりして)、必ずまた自分がソフトバレーをやる場所があったんです。
だから、自分がソフトバレーが一時的にできなくなってもまたできるようになったときの想像ができたんですよね。
「またできるようになったらこんなプレーを試していきたい!」とか、「この大会があるから練習も大会に合わせてやっていこう!」とか。
身の回りからソフトバレーが完全になくなる、って事がなかったんだという事に今更ながら気がつきました^^;
今は周りにソフトバレーの存在が全くない
なぜかというと、今がまさにその『身の回りからソフトバレーが完全になくなっている状態』だからです。
落ち着いてきたとは言え、まだ完全にコロナの脅威がなくなったわけではなく、第二波の話もそこら中で耳にします。
大会どころか練習もままならない状態で先が見えない状態です。
特に大会については再開の目処というのが全く立たず、SNSやYouTubeでも新しいソフトバレーの情報というのが全く入ってきません。
つまりソフトバレーの事をどうやって考えていったらいい状態か分からないですよね。
これが本当にソフトバレーができない事を実感させてくれて、余計に今まで当たり前のようにソフトバレーができてたという事が幸せだったという事を考えさせてくれます。
何事もそうですが、当たり前になってしまった状態の時ってなかなか気がつきづらいですよね。
当たり前にできていた幸せを本当に実感
でもだからと言って普段から当たり前になってしまったとは言え、幸せを実感していると思ったんですが、全く身の回りからソフトバレーがなくなってしまってやっと本当にソフトバレーが当たり前にできていた幸せというものを感じた気がします。
もちろん、ソフトバレーができなくなってしまった事で他の時間は生まれたので新しく身につけたことや考えるようになった事もあります。
今日考えたこともその一つです。
まとめ
今ソフトバレーが身の回りにないからこそ、ソフトバレーができていた喜びや周りへの感謝という気持ちが非常に強くなっていますが、これがまた当たり前のようになったらまた忙しい日々に紛れて薄れていくんじゃないかとも思っています。
だからこそ、このコロナ禍をきっかけに新たに始めたこのブログに記録していくことで自分の今の気持ちを忘れないようにしておきたいです。
もちろん、忘れても思い出せるようにこのブログを見返していくようにしたいです。
今は世界中が一致団結して、このウィルスに勝つ事が目標!
そしていつか何の心配もなく、またソフトバレーを楽しめる事を信じて!
自分が今できる事を最大限やっていきたいと思います。